「DV防止講演会」講演録①(第1回)

講演 「子供の発達と配偶者暴力(DV)」

講師 渡辺 久子さん(元慶應義塾大学病院小児科外来医長)

 

●誰もがもっているDVの要素

「子供の発達と配偶者暴力」という重いテーマを皆さんと共有しなければいけない日本であることを悲しく思います。自分のふるさとではなければいけないはずの家庭の中でドメスティック・バイオレンス(以下「DV」という。)が起きる。DVは突然始まるのではありません。普通の私たちの中に、暴力をうまく処理できない、そういう力のなさがあるのです。特に日本の戦後、その問題が置き去りにされてしまったために、今、私たちが70年遅れて考えなければいけないのです。DVは理屈などで制御できない、私たちの領域を超えた、深い私たちの生い立ちから積み重なっているものなのです。

日本では、全ての人がDVの要素を持っていると私は感じます。私は被害のひどさもそばにいる子供たちに及ぼす無言の、気づかれない静かな害もわかっています。愛する人は自分の宝です。お互いに幸せになるために結婚して、あるいはデートをして愛する人に会うのに、愛する人だけにはDVをしないでほしい。でも、それを知性がある人が意外とやるのです。

我慢して一生懸命に努力して、外面も内面も誰よりもきれいだと思っていると、ぽこっと出てきてしまうのです。そんなにきれいにならなくてもいいから、常に自分を振り返ってほしいと思います。「あっ、言ってしまった」「この人は怒っているだろうな」「『いや、今のごめんなさい。本当に失言ね』と言おう」とか。私たち一人ひとりの問いかけが大事です。

 

●依存的支配を受けないために

私のところに来る被害者のお母さんたちは「逃げなさい」と言われても逃げないのです。お金がないから、生活保護がないから、子供を残しては無理だと言うのです。でも「あなたの中に怒りがあるでしょう」と言うと、「いや、先生、怒りや憎しみを通り越して、殺意です」と言う。かなり率直ですが、実は被害者になるのを予防できるのです。そういう気持ちをオープンにしてしまえばいい。閉ざされたところでしかDVは起きないですから。

「私に全部吐き出していい」と言ったら「殺してやりたい」と。「殺せば手錠がかかるから、心の中だけで殺し文句を声に出さないで言う」と言うから「それはいいね」と、変な外来ですね(笑)。私と向かい合っているその人の、本来の健やかな、生まれたときと同じようなオープンな気持ちが出てきてほしい。そのためにやっています。子供たちのためにすっきりさせて帰さなくてはいけない。

そして何週間後かに来たときに、お母さんがすごく明るい。夫のほうは相変わらずなのにどういうふうに割り切れたのか聞いたら、「あの人はもう私の心の中ではお墓が建っていて、歩くお位牌思って見ていると、にっこり笑って『お帰りなさい』とか言ってしまう。彼がすごく悪態ついても私には関係ない。私は私として生きなければいけないと思った」と。まれではありますが、こういうふうに生きる力を自分で取り戻す人もいます。

DVは親密な関係の相手を支配する家庭内暴力のことです。親密とは自分を慕ってくれる人、愛してくれる人のこと。私たちの世代では、夫が疲れ切っているとき妻がお願いごとをしたら、普段はすごく優しい夫なのに、「何だ、てめえは」となってしまう人もいる。そして、そのときに言うのが「誰のおかげで飯を食っているのだ」です。これは日本の男性文化みたいなものですね。フィンランドの児童精神科医にこの話をしたら、彼女は「今朝の朝食を作ったのは私だったっけ、お風呂を洗ったり洗濯したのも私、この晩ご飯も私が作った。となると、あなたは誰のおかげで生きているのって私は返すわ」と。そこで、健勝な人は「そうかごめん」となって、そういうようなやりとりはもう二度と起こりません。

人間というのは、仲良くお互い様の思いやりを持って、つらいことも一緒にやりながら乗り越えようとしてこそ人間であると思います。DVは相手への依存的支配による人権侵害です。距離があるときには依存していないからDVは起きません。でも距離が縮まって、その人の心の芯に近づいたときに、その人の中に蛇や大蛇がまだいっぱい残っていたら、それが出てきてしまうのです。加害者はある意味いい人です。でも支配したいと思っている。その支配を許してはだめ、脅しに乗ってはだめです。今はDV防止法もありますから、通報してしまえばいいのです。

DVは、子供から見ると、家庭が外から見えないホラー映画です。力による支配と従属というのが人間だと思ったら、嫌になって、思春期に死にたくなってしまったり、めちゃくちゃに荒れてしまったりする。加害者の暴力の正当化と責任転嫁を教えたら、その子供たちはそっくりになってしまいます。

 

●プライドがつくる閉鎖空間

被害者であるお母さんたちを見ていてかわいそうなのは、子供を連れて逃げてきても、トラウマは10年、20年かかって治ればいいけれども、消えないのです。もちろん男の子全部がそうとは限らないのですが、一番弱くて、一番愛情に満ちているときにやられたら、男の子は加害者にそっくりになっていくことがあります。どういう専門的なメカニズムかというと、加害者に脅かされた人が、その瞬間の加害が余りにも怖くて忘れられない。同時に、そのときの自分の無力感が許せない。その無力感を乗り越えるために、加害者以上に強くなろうとし怒りを持ってしまう。自分のお母さんがやられている怒りがあるからです。

DVは関係性の暴力だから、子供への虐待や異性だと性虐待が頻発してしまう。虐待、性虐待、DVは一体です。DVの裏には加害者の一生懸命生き延びようとしてきた、何世代にもわたる無理がある。だから、もっと正直に泣けばいい、もっと正直にカウンセリングに行けばいい、もっと正直に、僕はもしかしたら一生治らないかもしれないとちゃんと言えばいい。けれども、そういう人たちはプライドが高いから絶対に言わないし、言えない。それがかわいそうです。

プライドでふたをして閉鎖空間を作ったら、中がますます腐っていく。60代、70代になったときに仕返しされるかもしれないし、自分を振り返ったときに惨めです。子供たちの成長する一番大事な時期にお母さんは被害者だった、それでいいのでしょうか、と思います。

加害者の認識には加害への否認があるのです。これは覚えておいたほうがいいですね。否認があるからできてしまう。えん罪でおまえが悪いのだ、おかしいのだ、自分こそ被害者だと言っている。だから、裁判なんか起こしたら、もうすごいのです。DVは、自分の中にあるコントロールできない蛇や大蛇を相手の中に投げつけ、相手を悪者にして相手を蹴落とし、自分のバランスをとるという、人を巻き込んだ調節なのです。

ですから、窓を全部開けて、全部聞こえるようにしなさい。世間体なんか関係ない、世間に開かれているのだと思った途端にちょっと程度が軽くなります。

 

●世代間伝達

日本の高度経済成長の中で、急激に日本が競争主義、効率主義となった時期に、育児の焦りや不安を受けなかった人はいません。私は戦後のベビーブームの時期だったから、みんな同じで、みんな飢えていて、みんな生きててよかったといって助け合っていました。物がないときは意外と人間は人間に戻れるのです。私の母や父は自分たちがよかったものを世代間伝達してくれて、丁寧に大事な命だといって育ててくれました。だけど、負の世代間伝達もあります。それがDVで、DVは虐待です。見えにくい虐待が問題です。皆さん、今日はDVの本質を考えましょう。

子供が胎児期、乳幼児期に、母親である自分がDVに遭っていると思ったら、胎内の子供に浴びせかけないように、ともかくタイミングを図って逃げてください。敏感で優秀な子供たちが、お母さんのストレスホルモンを受けて脳が発達するようになっていくからです。私が特に強調する命の最初の1000日間、1000日間の始まりは受精卵からですが、羊水は24時間完全に胎児を抱き続けます。

命を守る直感的な育児というのは、私たちの体が持っています。羊水の柔らかさ、ぬくもり、これは母性だなと思います。寄り添う母性、だけれども、母性が母性としておおらかに本当に柔らかになるには父性が要る。一滴も穴をあけて水を漏らすことをしない、絶対に産み月まで守ってみせるという子宮、筋層がある。私はそれを父性だなと思います。

生まれた赤ちゃんが、系統発生を全部たどり脳が完成するのは26歳ぐらいです。胎児期はお母さんのお腹を蹴飛ばさないとだめです。蹴飛ばしながらどうやって生きていくかとやっていくからです。ゼロ歳から4歳ぐらいまではエネルギーの塊でやんちゃでなければいけません。

私たち人間は地球上で生きているほかの鳥たちと同じ生き物で、ひなは親がとってきた食べ物をちゃんと口を開けて待っています。この親子の信頼関係が大事でこれが人間性を作っていく。それを作り損なった人たちは、どこかでいろんな形で修正していければいいのです。でも、ずっと真面目に生きて子供が生まれた瞬間にスイッチが入って修正がきかなくなってしまった人は、俺が悪いなんて思いません。おまえが悪いとなってしまうのでしょう。

 

●関係性でできている心と脳と体

家庭での親子の対話はすごく大事です。遺伝と環境相互作用という、今、トピックスの科学があって、子供の資質と環境の関係性で脳ができるというような内容です。家庭は命の触れ合う場所ですから、DVが起き始めていたら上手にそれを縮小していく必要があります。一人でやらないで、みんなとやればできるはずです。そのために、東京ウィメンズプラザがある。国が、社会がバックアップしています。健やかな家族機能には、お母さんの瞳の奥に笑っているお父さんが、お父さんの瞳の奥に笑っているお母さんがいなければいけません。

赤ちゃんを抱っこしているお母さんが楽しい、お父さんが楽しい、その互恵的な関係がないと子供は育ちません。つらいことがあっても一緒に乗り越えて、語り合って、振り返っていく。責めているのではない、ちゃんと話を聞いてほしい、というのが思いやりです。これは親子の関係だと愛着です。愛着とは自分が無力のときに、自分が生き延びるために頼る、ということです。心と脳、体というのは関係性でできている。関係性ということをもう一度考えなければいけないのです。

子供は、乳幼児期の「間主観性」というのを持っていて、相手の意図と本音、音楽的ともいえる親密さを0.1秒単位で見抜きます。嗅覚の鋭い野生動物の塊みたいな、その子供たちが見抜けないわけないです。そういう意味で、育児は本来、野性的にやっていいのです。親子の絆づくりの要素の中には、触れ合いやいろんなものが大事なのです。胎児期、乳幼児期が大事なのはわかりますね。そして、DVは閉鎖空間で起こるということもおわかりでしょう。

逃げたとしても加害者は総力を挙げて連れ戻しをします。私は思うのですが、加害者は、結局、自分のお母さんに放ったらかされたり、無視されたりしてきた復讐なのではないでしょうか。

 

●DVがもたらす脳への影響

渦中にある子供の恐怖支配の生活体験というのは、身体面も心理面もですが、脳にダメージを受けてしまうのです。扁桃体は感情に過剰反応して、すぐそばにある海馬で記憶されてしまい、偏見が焼きついてしまうのです。そして、すぐそばの下垂体は成長ホルモンとか性ホルモンを出す。ホルモンで体や骨ができていくからホルモンがないと子供はすごく不利なのです。

性ホルモンも脳の発達に必要で、つまり、心、体、脳が思春期では一体になっている。体が影響を受けると心が影響を受けるし、心が影響を受けると体が影響を受けて、脳はそのときに大変なのです。脳は右脳、左脳が不連続で停滞したり大きくなったりして、そのときにキレる。子供はキレながら大きくなっていくのです。そのタイミングとして、乳幼児期、学童期、思春期があります。そういうときに変なものを見てほしくないのです。

思春期にDVを見て、自殺を図ったり精神を病む人もいます。だから、それで生きている子供がいたら、あなたは生きているだけでいい、できるだけ家じゃないところにいなさい、と言います。乳幼児期の場合は、お母さんの精神状態がそのまま子供に伝わるので、ともかくお母さんを笑わせるように周囲が心がけることが大切です。

それからDVが起きている家庭は性虐待が起きる可能性が高いということを覚悟してください。加害者は芯が寂しい人だから、女性が加害者だったら息子に、男性が加害者だったら娘に執着します。それは、次の犠牲者をつくることだから止めないといけません。加害者の圧倒的支配で子供は恐怖、大人自身は自分が止められないことに自責の念、罪悪感、恥ずかしさ、言葉にならない苦しみを抱いて、結局人生観が崩れて、生涯、心の内部被曝みたいに苦しみ続けることになります。

側頭葉ががんがんやられていると、大きくなっても脳が発達していない子供が多い。例えば、集団に入ったときにやけになる子供は日本では発達障害という烙印を押すけれども、実際は発達性トラウマ障害がほとんどです。これは早期から繰り返される累積トラウマによるものです。日々そういうものをたくさん見ていると、脳がもうストレスホルモン漬けになっていってしまうのです。

小さいときからいろいろなストレスがあると人生の悪循環に陥って結果的に短命になるという研究結果があります。ですので、予防が大切です。DVから子供を守って、特に私たちが一番考えなければいけないのは、私たちの芯のところにある素直な泣きたい気持ち、童心ですね。それから思いやる気持ち、そして戦う気持ち、こういうものが本当に振り返られて、正直に、格好つけないで出せているかどうかだと思うのです。そういう意味で、ともに生きる仲間とシェアしていくことが大事だと思います。

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