男性の家族介護応援プロジェクト          第1回開催報告

 「男性が介護を担うとき~経験者が語る傾向と対策」
 平成28年3月21日(月・振休) 12:00~15:00
  当日の流れ
   -パネルディスカッション
   -対話会

 東京ウィメンズプラザ主催「男性の家族介護応援プロジェクト・第1回」の実施報告です。このプロジェクトは「女性活躍推進」の一環として、男女が協力して介護を担うことで、介護と仕事の両立を図っていくことを目的としています。
 3月21日(月・振)は現役の男性介護者とそのご家族を対象とした「男性が介護を担うとき~経験者が語る傾向と対策」を開催いたしました。男性の現役介護者、将来の介護者、介護者を支援している方など参加者およびパネリストやファシリテーターも入り、「男性介護」について様々な角度から考えてみました。

 第1部はパネルディスカッションです。
 コーディネーターとして「男性介護者と支援者の全国ネットワーク(男性介護ネット)」の事務局長で立命館大学の教授、津止正敏氏に京都からお越しいただきました。パネリストには、配偶者の両親をご夫婦で介護されている現役夫婦介護者1組、一人っ子でシングルの介護経験者1名、既婚者で介護離職をした介護経験者1名の計4名をお迎えいたしました。

 まず津止氏から男性介護ネットの活動報告と男性介護の問題提起のご講演をいただきました。

                

 テーマは、「男性の介護実態とネットワークの現況」です。
 家族を介護する男性がこれまでもいなかったわけではありませんが、そのことが世の中に出ることはひと昔前まではほとんどありませんでした。
 津止氏は、2009年3月8日に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」の大会を開催し、男性介護の問題を世に問おうと活動を始めました。これを皮切りに各地で男性介護のイベントが始まりました。

 なぜ今、男性介護者の会が盛況なのでしょうか。その背景に広がる状況として
①介護に関わる事件、孤立、貧困、介護離職など問題が山積している
②介護当事者、メディア、支援者、支援機関など「なんとかしなければ、なんとかして欲しい」と気付いた人がいる
等があげられます。
 どの会も最初は小規模な会で、小さなコミュニティから始まっていますが、「男性介護」の問題を入口にしながら「家族介護者」の問題を広く社会に問題提起しようという確信をもって活動しています。

                

 これらの会や集まりは「ケア・コミュニティ」とも呼ばれますが、現在どのような活動をし、それにはどんな意義があるのでしょうか。
①同じ立場の人との出会いの場
 一言で「介護者」といっても老々介護の介護者、若年性認知症の介護者、シングルの介護者、介護のために離職した介護者など状況は様々で、ケア・コミュニティは自分と同じ立場の仲間との出会いの場になっています。
②「ひとりじゃない」ということを実感する場
 男性は頑張り屋さんが多いです。会社では絶対「介護」のことは言うまいと一人で頑張ってきた方々が、集まることで「ひとりじゃない」ということを実感できる場になっています。
③マイナスも含めた介護感情が吐露できる場
 “排便の話”で盛り上がれる場は他にはありません。
④介護者の経験が「知」として生きる場
 介護者でなければできない援助の仕方があります。専門職のアドバイスだけでなく「私の場合はこうした」という経験談が、“私の枠”を超えて大きな力になる場になっています。
⑤これまでの介護生活の振り返りの場
 「大変だったけど、嫌なことばかりじゃなかったよね」という振り返りから、共感関係と自己肯定感を育む場になっています。

 介護の経験を自分の中に閉じ込めるのではなく、発信することが社会的にも大きな意味を持ち、“私の枠”を超えて社会の財産になっています。

 「今日の取り組みがその大きな取り組みの第一歩になればいいですね。」と津止氏はご講演をまとめられました。

 続いてパネルディスカッションです。
 夫の両親を介護しているご夫婦は次のように語ってくださいました。
<夫>

                

 3年前、父が柿の木に立てかけた脚立から落ちたことから介護が始まりました。地域包括支援センターに行くと、「どのようなサービスを受けたいのですか?」といきなり言われ、「それがわからないから来ているんです」と返答した体験が強く印象に残っています。

 父は足腰を悪くしてしまったので、病院からベッドがあった方がいいと言われました。しかし、どういうベッドがあるかわからないし、それが実際、部屋に入るかもわからない。とにかくわからないなりに進めていくしかありませんでした。
 そうこうしているうちに今度は母の病気がわかり、入退院を繰り返す中で認知症の症状が現れるようになりました。
 父は大正生まれで家庭のことは何もしない人でした。頼っていた母が認知症になってしまい、息子である私はどうしたらいいかわからず……。そんな時に世田谷にある「せたカフェ」という集いに行って、そこで保健師さんやいろんな人の話を聞くことができたことがよかったです。

<妻>
 先のこと先のことを考えて情報収集などして、夫に提案していました。でも、実の子供である夫と夫の妹は、私の提案を嫌がりました。「うちは外の人が入るのは嫌だから」と。
 嫁の立場としては、「動いてと言われれば動きます、情報も取ってきます、でも最終的な判断は夫と妹で決めて欲しい」と伝えてあります。義父義母であっても、親は親。離れて住んでいても、いい人生だったと思って欲しいと思っています。

 次に一人っ子でシングルのパネリストは以下のように語ってくださいました。

                

 アラフォーで介護が始まったのは、同世代よりは少し早い経験だったかなと思います。時代の最先端を先走ってしまった皮肉な人生です。
 2年前に母の自宅を建て替えるために、引っ越しをしました。この時にアルツハイマー型認知症が疑われました。明らかに段階を追って症状が悪化していくのが、子供ながらにわかりました。しかし、その現実を認めたくなかったし、受け入れることは残酷でした。
 介護認定をとるために母を医師に診せました。MRIの画像をみて、私にもはっきりと脳の萎縮が進行していることが分かりました。自分は一人っ子でしたし、母親だったこともあって、トンカチで頭を殴られたくらいの衝撃を受けました。
 このショックを誰も一緒に受け止めてくれなかった、何よりもこれが一番つらかったですね。
 とにかく「逃げたい!」「何をしていいのかわからない!」。体がロウでかためられたように動きが止まる感じがしました。

 新しい家に引っ越しましたが、母が新しい家を理解してくれない。「自分のうちじゃない」と言って出て行ってしまい、元の家に戻ろうとするのです。しかし、道に迷い、行方不明になってしまう。常に目が離せない恐怖感が今でも残っています。去年亡くなりましたが、今でもその時のことが夢に出てきます。

 自分の思いのたけをすべて打ち明ける場があることを当初は知りませんでしたが、自分自身がパニックになって、精神的にいっぱいいっぱいになり、藁をもすがる思いで介護者向けの集いに行きました。

 今後、私のようなシングルの介護者は増えていくと思います。
 少しでも早い段階で私のような『シングルで介護をする経験』が職場や仲間内に伝わっていけばいいなと思います。

 最後に、既婚者で介護離職をしたパネリストは次のように語りました。

                

 4年間、母の介護生活を経験しました。私の家族は妻と三男と母の4人で同居していました。在宅で2年介護し、大たい骨を折って寝たきりになったのをきっかけに母には特養に入所してもらいました。
 全員仕事を持っていたので、母の昼ご飯に調理パンを用意しておいたのですが、それをビニール袋から出さずにオーブントースターに入れたのを見た瞬間「ヤバイ」と思い、乱暴にもすぐに会社を辞めてしまいました。それまでも、“遅刻して、早退する”をしばらく繰り返していたので、会社としては面白くなかっただろうと思います。結局のところ、肌感覚として居づらくなり「介護に専念させていただきます」といって自ら会社を辞めました。
 それから、24時間体制の介護生活が始まりました。それは地獄のような日々でした。
 会社を辞めているので、社会と隔離されていること、置いてきぼりにされている、ひとりぼっちであることがイライラを助長させました。
 会社を辞めて2~3か月たって、練馬区の区報で「介護家族会」を知りました。参加しましたが8割は女性です。専門用語も飛び交い「私のいるところではないな」と思いました。その時、その会の世話人から「母親を介護する男性の会があるよ」と教えていただき、それだったら・・ということでそちらの会に参加させていただきました。

 とにかく、介護で気持ちがいっぱいいっぱいなのです。イライラ感いっぱいで「介護者の会」に行って、世話人や先輩方に話を聴いてもらって、やっとたまっていた気持ちを吐き出せました。思いを吐露して空っぽになって帰ることで、介護に向き合うことができました。

 なぜ私が会社を辞めなければならなかったのか、とお思いの方もおられるかと思います。もちろん自分の母親だということもありますし……。妻は仕事をしていました。そもそも嫁姑関係には“不可侵条約”があったため、「介護になったから頼むよ」とは言えなかったですね。
 でも、会社をやめたのは浅はかだったと思います。お金が無いのは苦しいです。他にいい手があったのではないかと、今だから反省できます。しかし、その時は相談する余裕もなかったし、まして家族には男として相談できなかったです。

 介護は終わりが見えないといいますが、終わってみればたったの4年間だったという気がします。いろんな方のケースや情報をとって、自分にあった介護を見つけてほしいと思います。

 第1部の残り時間が20分となった時、津止氏から会場へ「皆さんはどうですか?同じような思いをされておられませんか?」「話したくなった、聞いてほしい、という方はおられませんか?」と投げかけがありました。現状の思いをお話し下さったり、パネリストへ質問をされる参加者もいらっしゃいました。

                

 最後に津止氏より、各パネリストに対して「介護は辛いことばかりでもないという話をしてみましょう。『こんなにほっこりしたこともある』という話を教えてください」と提案がありました。

 独身の介護者から、
 『社会人になって10年以上実家に帰ってなかったのに、母の病気がきっかけで実家に顔を出すようになりました。自宅でおやつにポップコーンを二人で食べていて、子供の頃の親子の対話を思いだし、穏やかに過ごせた。』というお話がありました。

 「介護には言い尽くせないほどいろいろなことがあるけど、ネガティブなこととはまた別の側面-家族関係の変化や生活の知恵から今日を生きる勇気を得ることができることもあることを我々は忘れてはいけないのだと思います。」という津止氏の言葉で第1部を終了しました。

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 第2部はテーマ別に分かれての対話会です。「仕事と介護の両立」「介護離職・入所介護」「認知症介護」「認知症介護・夫婦介護」「「独身介護」「ネットワークづくり」と6つのテーブルに分かれました。

       

 各テーブルでは以下のようなことが語られました。
<仕事と介護の両立>

  • 親の介護をするとなると、どうしてもキャリアを犠牲にせざるを得ない。管理職に昇進するのも難しい、現在管理職でもそれを降りなければならない。

<介護離職・入所介護>

  • 現実は自分一人では発信しづらい。そのような働き方で、まわりに迷惑をかけてしまい、いつも頭を下げることになり、居づらい。これが離職につながっているのでは。

<独身介護>

  • 親は家に一人でいて何もしていない。近所の付き合いがない。友人も近くにはいない。近所に助けてくれる人もいるが、あくまで善意でやって下さっているので、何でも頼めるわけではない。

<認知症介護>

  • (胃ろうについて)まだ判断力があり話もできるうちに、決めたほうがいいのだろうか?
  • 抱え込まないために認知症であることをオープンにしたほうが良いと聞くが、タイミングはどうしたらいいのだろう?

<認知症介護・夫婦介護>

  • 妻は元看護士なので、お風呂1つにしても介護士さんに説明を求めるので大変です。

<ネットワークづくり>

  • 東京での支援団体の特徴は小規模の団体が多い。地方はエリア毎にひとつのところが多い。

 話が尽きない中60分の対話会も終わり、盛況のうちにイベントを終了いたしました。
 その後も帰りながら立ち話をされる姿があちらこちらで見受けられ、日頃の思いを話すことができた有意義な時間になりました。

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参加者の感想を少しだけ紹介いたします。

  • いろいろな立場での介護者の経験のお話を聞けて参考になりました。
  • 話せる場が必要だとわかりました。

       

 次回は、3月26日(土)将来の介護者対象の「男性介護のパイオニア時代を考える」です。「隠れ介護」の問題や介護の備えなど、現役介護者の講師が自身の体験談や実例をもとに解説します。一緒に「男性介護」の未来を考えましょう。

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